都漁連内湾釣漁協議会

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H26.5.5 第13回「お江戸投網まつり」 By 細川流江戸投網保存会(東京東部漁協)

 当会会員諸団体「細川流江戸投網保存会(東京東部漁協)」が毎年5月5日に執り行う「お江戸投網まつり」に、今年も各会員が大挙して駆けつけ、網打ち、交通船、作業船等、各部署で諸般の作業、手伝いにまわりました。

●投網まつりデビュー戦~スタッフコメント「小島俊助随感」

 今回、初めて屋形船で投網を打つことで、その難しさを実感しました。
 何よりも足場が不安定で、足に踏ん張りがきかず、網を大きく振る際、遠心力が足らずに打ち出すタイミングが遅くなり、水押しに網をかけるなど大きなミスをしてしまいました。投網が着水するわずかな時間でも足に踏ん張りをいれることができず、力まかせに振ってしまい、これが反省すべき点でした。
 その他、反省点を挙げればきりがないですが、日々の練習で一つ一つ課題を乗り越えて、一人前の投網を見せられよう精進していきたいと思います。

                       船宿あみ武 小島俊助(31歳)


▲打ち子で今年デビューした東京東部漁協の船宿あみ武の小島俊助君です。

●投網まつりデビュー戦~スタッフコメント「中澤充随感」

 本年の投網まつりで、初めてお客様の前で投網を披露させていただきました。漁師だった祖父の船に子供の頃から乗っていたこともあり、10代の頃から投網に興味を持ち、いつか投網を習得したいという思いがありました。

 本格的に投網を覚えたいと思ったのは、4年前の投網まつりからです。昨年度まで報道船、通船要員としてお手伝いをさせていただいた際、諸先輩方が屋形船から勇壮に投網を投げる姿を目の当たりにし、「いつか投網まつりで投網を打ちたい!」と思っていたのでした。

 昨年の4月から投網練習会に参加しました。先輩方に一から教わり、練習を重ねました。見るのと実際にやるのとでは全く違い、最初はなかなか網が広がらず苦戦しました。「習うより慣れろ」、「回数を打たないと覚えない」とアドバイスをいただき、ひたすら練習に励みました。そしてなんとか形になり、本年の投網まつりでデビューでさせていただく運びとなりました。

 いざ本番!ということで、当日はあみ武さんの大きな屋形船から打ちましたが、漁船で打つのとは勝手が違いすぎました。それにお客様、ご来賓の方々の注目の中で打つのも初めてです。ガチガチに緊張してしまいました。さらに「ついに俺もこの場面で網を打てる日が来たか・・・」と感慨にふけっていたら、さらに緊張してしまい、体がカッチコチになり、記念すべき第1投は、網が水押しにからんでしまい、大失敗に終わりました。
 前日までは「人前に出るのは平気だし、練習では上手く出来ていたから緊張しないだろう」と思っていましたが、そこは細川流投網流祖の細川政吉『通称:細川の政』さんが「よう!アンちゃん! 投網はそんなに甘いもんじゃあねえぞ!」とあの世から私に試練を与えたのかもしれません。

「習うより慣れろ」、「回数打たないと覚えない」、「100回網を打った人よりは1000回、1万回打った人の方がより上達する」のアドバイスを肝に銘じ、これからも諸先輩方のご指導を仰ぎながら勉強して行きたいと思います。

                          佃中澤  中澤充(33歳)


▲打ち子で今年デビューした佃島漁協の佃中澤の中澤充君です。

●ゲスト寄稿 「NPO法人 海辺つくり研究会」 理事 木村尚さん
「この美しい投網の技が永遠であってほしい」

 東京ディズニーランドを背景に、足場の悪い船の舳先から、大きく振られた巨大な投網が大空に拡がって海面に落ちていく。網の広がりは四畳半ほどもあるだろうか。思わず、屋号を叫んで大きな拍手を送りたくなるほどの美しさだ。今となっては魚も減り、網にかかってくる魚もまばらだが、それでもスズキなど足の速い魚までもが、投網に入ってくる。以前、見せて頂いた時には高級魚と言われるサクラマスなども入り、拍手喝采となった時もあった。  この大きな網を振るう細川流の投網、その網の振り方の勇壮さから、土佐流、薩摩流など、あるいは川の浅いところで川に入って打つ投網とは、一線を隔していると言ってもよいだろう。かつての江戸前では、漁業としての投網も数多く行われてきたが、東京湾の環境の悪化とともに、魚の減少から漁業としては成り立たず、今ではその技術を後世に繋ごうと、保存会が技術を磨き、一年に一度、その素晴らしい技を披露してくれている。

●肥後の殿様の「舟出浮」の昨今  
「細川流」の名前を聞けばお気づきのことと思うが、熊本県は肥後細川藩の藩士により伝えられたと言われているそうだ。   熊本県八代市に、その源流を訪ねて見たことがある。細川の殿様が、芸者衆を連れて「舟」に乗り、舟の舳先から打つ投網で採れた魚を舟上で調理し、楽しんでいたそうだ。「舟出浮」と呼ばれている。   この舟出浮、現在でも盛んに行われているが、八代海でも年々採れる魚の量は減少しており、採取方法も投網から刺し網漁やかご漁にその姿を変えている。それでも、舟出浮用に無人島を開放し、魚を取った後は、専用桟橋から上陸し、それこそ食べきれないほどの量の魚をつまみに、実にうまい酒を飲ませてくれる。江戸の保存会同様、こうした文化を守っていこうとしているのだ。   今でも、投網の漁業は残っているが、年々その数は減っているそうだ。江戸に伝わった投網の技法、あくまで推測の域を出ないが、おそらくは江戸へ出てきた細川の殿様、ストレス解消に、舟出浮を江戸前の海で楽しみたかったのかもしれない。東京湾の環境が悪くなると同時にその伝統の技や文化が消えてしまうのでは、何とも寂しい気持がする。

●「食と文化」も含めた再生の必要
 私は日ごろから、何とか東京湾を美しく豊かに再生させていきたいと願い、活動を続けているのだが、これは単に環境をよくしようなどというだけではなく、江戸前の美しい文化の存続にまで関わっている。舟出浮のある八代市からほど近い場所に水俣市がある。ご承知のとおり、水俣病で苦しんできた地域だ。   かつて水俣病を持つ地域から、修学旅行に行った子どもたちが、他地域へ行くといじめにあったそうだ。それではいけないと水俣市が一丸となって、環境をよくし、子どもたちが誇れる地域に再生させていったそうだ。現在では、地域を上げての環境への取り組みの素晴らしさが全国に認められ、毎年、環境都市の取り組みとして評価一位を継続させている。その水俣市で、知り合いのおばあさんに話を伺ったが、そのおばあさん、環境など見たことも喰ったこともないと言っていた。なるほど、然りである。東京湾の環境に対する取り組み、科学的なアプローチも重要だが、実は、食や文化といった面でも取り組む必要があるのではないだろうか。東京湾を再生させていくためには、多くの力を結集していかなければならない。東京湾の持てる全ての力を結集させ、何とか、豊かな海を取り戻していきたいものである。

●外国人観光客に自慢したい投網漁と豊かな東京の海
 投網が漁業として成り立つくらい豊かな海に再生したいものだ。オリンピックも控えている。多くの海外からの観光客にも、江戸前の技を披露しつつ、大都市圏でありながら、豊かな海であることを諸外国に自慢してみたい。日本の多くの人にこの技を見せながら、投網、屋形船、ハゼの天ふら船などで江戸前の食を楽しんで頂きたい。八代市の漁師とも交流しながら、細川の今殿様にも、この技をご披露したらどうかと密かに思いながら、ゴールデンウィークを楽しませて頂いた。こうした機会を頂いた都漁連の皆様には、心から感謝したいと思います。



 

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